Feb 18, 2010

医師求人への応募が来るか

最近インターネットなどで、医師の求人をよく見えるようになったが、果たしてどれくらいの数の医師が応募をするのか疑問を感じる。昔のドラマではないが、医師の人事派遣は教授や医局などによって左右される場面が多く、自分の意思はあまり関係のように感じられた。そんなことを考えると医師の求人を出してもあまり効果的に人員を集めていないではないかとも考えられる。
最近では、構造調整や失業者があふれて仕事なんて思っています。しかし、看護師の求人は絶えずあり、高収入であるか、良い条件を提示したことも多いです。私の友人も看護師の出産休暇が終わって子育てをしながら仕事をしています。将来を見据えても、看護師は将来性のあることだと考え、看護師の求人情報を見ても納得が持つために私の娘も、現在の看護師を目指し勉強中です。
 東日本大震災の被災者を元気づけようと、新庄市の農家グループ「ネットワーク農縁」が19日、避難所になっている仙台市若林区の六郷中で炊き出しをした。近隣の避難所からも被災者が集まり、約550人が山形牛の牛丼を味わった。
 メンバーは、熱々のご飯の上に、大鍋で煮込んだ牛肉とタマネギを載せて、避難者に提供した。避難者の一人は「牛丼は温かく、おいしかった。何よりも一生懸命やってくれたことに感謝している」と話した。
 グループは震災後、宮城県亘理町、石巻市などの被災地で、支援物資の配布や、家屋の洗浄に取り組んでいる。
 メンバーの高橋保広さん(64)は震災翌日の3月12日、亘理町に入り、看護師をしている長女の無事を確認する一方で、津波の爪痕を目の当たりにした。「何かしないといけないと思い、活動を始めた。こんな時だからこそ助け合いたい。被災者の方はどうかくじけないでほしい」と話した。

 東日本大震災直後、福島県新地町のJR常磐線新地駅で列車の乗客40人を機敏な判断で避難させ、津波から守った相馬署地域課の斎藤圭(26)、吉村邦仁(23)両巡査に、乗客だった宮城県山元町の女性(77)から手紙が届いた。女性は「(自宅は津波で壊れ)体一つになりましたが、ありがとうございました」と感謝の思いをつづっている。
 女性は当日、仙台市での習い事から帰る途中で居眠りをして坂元駅(山元町)を乗り過ごし、戻るために新地駅で降りた。その直後に地震が発生、両巡査の先導で乗客全員が高台の新地町役場に向かった。
 女性は当初、2人を警察官と思わず、「家族に迎えに来てもらうので、先に行ってください」と話したという。
 これに対し、両巡査は「ばらばらに避難すると危険」「責任がありますから」と説得。避難途中で足を痛めた女性に斎藤巡査が付き添い、通り掛かりのトラックに乗せてもらって役場まで誘導した。
 女性の自宅は津波で被災し、現在は仙台市の親戚宅に避難しているという。
 19日、相馬署で記者会見した両巡査は「救助した人たちがどうなったか、ずっと気掛かりだった。無事と聞いて安心した」と話した。

 東日本大震災の津波被害を受けた仙台市若林区三本塚の農家でつくる三本塚実行組合が、パソコンの寄付を呼び掛けている。これまで組合員を対象にパソコン教室を開き、出荷する野菜のラベル作りなどに活用してきたが、津波で機材が流失。自宅と農地を失った組合員の営農への意欲を維持し、復興の足掛かりにしようと、避難所で教室の再開を企画している。
 組合には三本塚地区80戸の農家が加入。育苗の講習会や用水路の草取りなどに取り組んできた。津波でほぼ全戸が流失や浸水の被害に遭い、組合員と家族ら9人が犠牲になった。
 震災後は、60戸約180人が若林区六郷の六郷中で避難生活を送っており、知人宅などに身を寄せる被災者もいる。
 農地は現在も流木や泥に覆われている。六郷中に避難している組合長の相沢勝さん(59)は「除塩作業や排水溝整備などに5年は必要だ。本格的な作付けには10年かかるかもしれない」と話す。組合員の中には、農業を続けるかどうか、迷う声も聞こえだしたという。
 パソコン教室は2009年2月、相沢さんの発案で始まった。毎週土曜日、20〜60代の約20人がノートパソコンを持参し、地区の集会場に集まって勉強していた。
 当初は電源の入れ方すら分からなかった人もいたが、最近ではみんなで出荷する野菜のラベルや、野菜を使った料理のレシピをパソコンで製作していた。組合のホームページを作って情報発信やネット販売を始めようという矢先に、震災が発生した。
 相沢さんは「震災から1カ月がすぎ、気持ちも落ち着いてきた。六郷中の一角でパソコン教室を再開し、またみんなで農業ができるように、組合員の気持ちを高めたい」と話す。
 募っているのはノート型パソコン20台程度。連絡先は相沢さん090(9530)0021。(橋本智子)

 仙台市青葉区国分町の店を畳み、昨年8月に東京・内神田で再出発した鯨料理店「一乃谷」が、新たに牛タンの提供を始めた。本格的に牛タンを扱った経験はなかったが「オール宮城」の名物料理を並べ、東日本大震災で被害を受けた宮城県を応援しようと考えた。店主の谷光男さん(55)は「大勢の宮城県人のおかげで今の自分がある」と語り、売り上げの一部は義援金に充てるという。

 一乃谷が牛タンをメニューに加えたのは3月末。「宮城県といえば牛タンだ」と、震災後に仙台市に戻った谷さんが知人の料理人に頼み込み、調理法を習った。料理人歴38年だが牛タンには不慣れ。血抜きなどの下処理に悪戦苦闘しながら、店で出せるレベルに仕上げた。
 牛タンを塩焼きで提供するほか、仙台市で自ら採った葉ワサビなど地物の山菜も用意。宮城県産食材は手に入りにくい状況だが、自慢の鯨料理をメーンに、なるべく多くの県産食材で宮城の料理を作り、PRに一役買おうと意気込む。
 商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)などによる鯨離れで国分町店は閉めざるを得なかったが、22年間、仙台市民に愛されてきた。都内移転後も、再出発を伝える河北新報の記事を読んだ多くの宮城県人に励まされた。沿岸捕鯨基地のある石巻市などには今も連絡が取れない関係者がおり、「今こそ恩返しをしなければ」と奮い立った。
 5月9〜23日には仙台市の鮮魚店から魚介類も仕入れ、「三陸まつり」と銘打ったキャンペーンを行う。期間中の売り上げの一部は義援金に充て、河北新報社に寄託する。連絡先は03(3254)6096。(桜田賢一)

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